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連載「メジャーのものさし」 第7号

1964年9月1日。日本人メジャーの、最初の夜

2026年8月20日

きょうの一行は、62年前の公式記録から。

1964年9月1日、対ニューヨーク・メッツ。村上雅則、1回・2三振・無四球・無失点。

これが、MLBの記録に残る最初の日本人選手の、最初の登板です。20歳のリリーフ投手でした。

完璧な15回

数字だけを追います。村上雅則さんの1964年は9登板。最初の8登板は、ひとつも点を取られていません。失点したのはシーズン最終戦の1試合だけ。年間では15回を投げて15奪三振、防御率1.80でした。

イニングと同じ数の三振。四球はシーズン全体でわずか1つ(初登板から6登板目までゼロ)。リリーフとして招かれた20歳が、大リーグの打者を相手に、ほとんど完璧な数字を置いて帰ったことになります。

翌1965年は45登板。74回1/3を投げて85奪三振、8セーブ。クローザーという言葉が定着する前の時代に、ブルペンの主力として一年を投げ切りました。

APIに残る記録は、この二年ぶんです。通算54登板、89回1/3、防御率3.43、100奪三振、5勝1敗9セーブ。日本人メジャーリーガーの歴史は、この静かな数字から始まりました。

62年後の名簿

村上雅則さんがひとりで開けた扉の向こうに、いまは何人いるか。

うちの名簿だけで14人です。大谷翔平が30本塁打で6年連続の大台に乗り、村上宗隆が29本で日本人4人目のシーズン30本に王手をかけ、佐々木朗希がクアーズ・フィールドで先発する朝が、あたりまえのように毎日届く。

とくに数字の並びで目を引くのは、同じ姓のふたりです。1964年の村上雅則さんは「最初の1回」を投げた。2026年の村上宗隆は「30号まであと1本」に立っている。血のつながりはなくても、記録簿の上では62年をはさんで同じ姓が並びます。

あしたへ

9月1日は、もうすぐ来ます。最初の登板からちょうど62年のその日を、いまの14人は現役の数字で迎える。歴史は資料館にあるのではなく、毎朝の box score の隣に立っています。

きょうの試合も、その続きです。

図: 1964年の全登板 図: デビュー戦と通算

歴代の一夜・第1回 / 数値はすべてMLB Stats APIの公式記録(2026-08-20取得)

Data: MLB Stats API / 非公式・MLBとは無関係の個人の日報です

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